2045年9月5日 · 東京
БМШ-44技術の日本側への移転と安全保障体制の変更に関するソヴィエト連邦・日本両国防相の共同記者会見

БМШ-44技術の日本への移転とソ日防衛体制の変化
ソビエト連邦と日本は、БМШ-44の技術を日本側に移転し、日本国内の企業における重歩行機械の生産を認めるライセンスを供与する議定書に調印した。
この合意により、約3年にわたって続けられてきた交渉が完了した。これまで日本の武装部隊は、ソ連のБМШ部隊との共同演習に参加し、その整備を担当する独自の専門要員も擁していたが、機体そのものは依然としてソ連のみが運用していた。
調印された議定書に基づき、日本は独自生産体制の構築に必要な技術文書の提供を受けるほか、乗員および技術要員の訓練にも参加できるようになる。日本の武装部隊向けの最初の機体は、ソ連企業の参加のもとで生産される。その後は、部品の相当部分が日本国内で生産される予定である。
ただし、これは単にソ連製の機体をライセンス生産するというものではない。
日本企業はすでに、パワーエレクトロニクス、駆動系、観測・管制装置など、БМШ-44を構成する複数のシステムの製造に参加している。新たな議定書により、日本側はソ連部隊との相互運用性を維持しつつ、これらのシステムを独自に発展させ、自国の武装部隊の要求に合わせて機体を改修することが可能となる。
一方、動力装置、防護システム、および兵装の一部に関する技術は、引き続き非公開とされる。これらの技術移転については、別個の協定によって規定される。
日本の武装部隊は、今後数年以内に独自の重歩行機械部隊を初めて保有することになる。
しかし、東京で調印された今回の合意が持つ意味は、一つの兵器システムの移転にとどまらない。
これと同時に、ソビエト連邦は極東方面に展開する部隊の一部削減を開始すると発表した。
数十年にわたり、ソ連軍は日本の対外防衛体制のかなりの部分を担ってきた。この体制は第二次世界大戦後、日本の非軍事化と、ソ連による日本の領土的安全の保障、そして日本領内に外国軍基地を置かないという原則が組み合わされる形で成立した。
当初は戦後秩序の一要素として想定されていたこの体制は、その後、幾世代にもわたって存続した。
日本は徐々に独自の武装部隊を再建し、その能力も段階的に拡大してきた。しかし、対外防衛における最も重い任務については、依然として極東に大規模なソ連軍が存在することを前提としていた。
本日調印された合意は、この原則そのものを初めて変えるものである。
ソ連軍の削減は、日本側の新たな部隊の編成と、それらが必要な戦闘即応態勢に達するのに合わせて、段階的に進められる。ただし、そのために日本領内からソ連軍の部隊、装備、あるいは軍事インフラを撤去する必要はない。ソビエト連邦は日本国内に恒久的な軍事基地を置いたことがなく、第二次世界大戦の終結から100年を経た現在も、この原則に変更はない。
ソ連による日本の安全保障もまた、変更されない。
文書調印後の共同記者会見では、まさにこの点が最大の焦点となった。
記者の一人が日本の防衛大臣に質問した。
「ソ連軍の削減は、日本に対するソ連の安全保障の終わりを意味するのでしょうか」
大臣はすぐには答えなかった。
「いいえ。100年を経て、私たちがソビエト連邦に求める保障が、以前より少なくなったということです。」
